九州大学 研究者情報
論文一覧
宮地 英敏(みやち ひでとし) データ更新日:2023.11.29

准教授 /  附属図書館記録資料館 産業経済資料部門


原著論文
1. 宮地英敏, 「西表島の開発計構想ー浦添為宗とその影響」, 大阪経済大学日本経済史研究所編『歴史からみた経済と社会』思文閣出版, 409-433, 2023.11, 近代における西表島の開発構想について分析した。従来、西表島といえば炭鉱開発ばかりが注目されてきたが、農業(サトウキビ栽培)や工業(砂糖精製)、林業などを含む大規模開発計画が明治末期から唱え始められた。浦添為宗は、問題となっていたマラリア対策や、使用電力のためのダム建設と水力発電なども考慮し、大規模開発を提言した。これが、のちの沖縄県における開発計画や、戦後のアメリカ統治下の開発へも影響を与えた点なども紹介している。.
2. 宮地英敏, 「本土復帰にむけた沖縄における電力一元化の過程」, 『エネルギー史研究』, 38, 31-53, 2023.03, [URL], 従来は、沖縄の電力関係者たちが主導したとされてきた本土復帰後の10電力体制への道が、実は屋良朝苗政権下の琉球政府通商産業局が主導してきたことを明らかにした論考。従来の説では軽んじられてきた日本政府の大臣たちの発言が、実は通商産業省の意を受けた重要な発言であり、それらに琉球政府通商産業局が対処したことによって、結果として本土並みの沖縄電力へと繋がっていくことを明らかにした。.
3. 宮地英敏,西尾典子, 「スカブラ考」, 『エネルギー史研究』, 37号, 53-78, 2022.03, 福岡の炭鉱地帯にみられたスカブラについて、それが糟屋郡の一方言であったものが筑豊地帯などへも広がったことから、炭鉱労働史や社会史の視点も踏まえつつ、その用語が意味するスカブラの特徴について分析を行った。.
4. 宮地英敏、池元有一, 「高度経済成長期の銀行機械化における後発事例の分析-福岡銀行を対象として」, 『経済学研究(九州大学)』, 88, 4, 45-67, 2021.12, 地銀上位行でありながら上位信金などと比べても機械導入が遅れた福岡銀行について、その導入の様子を明らかにした論文である。.
5. 西尾典子, 宮地英敏, 「川村純義と三菱の新入炭鉱取得」, 『エネルギー史研究』, 36号, 31-58, 2021.03, 明治期三菱のドル箱となった新入炭鉱が、川村純義から三菱へと有償譲渡されていく過程について、海軍の開発構想や川村純義の地元との折衝などに着目しながら検討した。川村純義は、最後の海軍卿の立場を利用して新入炭鉱の情報を入手して取得に着手していたものの、宮中顧問官から枢密顧問官へと転じていく中で、政治的な活動が行えるのではと期待し、地元との折衝が難航していた新入炭鉱を三菱へと譲り渡した様子が明らかにされている。.
6. 宮地英敏、川満直樹、山内昌斗、鍛冶博之、西尾典子, 「沖縄のうれんプラザの現状と課題-農連市場からのマチグヮー文化の創造的継承にむけて」, 『地球社会統合科学』, 26, 2, 10-23, 2019.12, 農連市場からの再開発によって誕生した「のうれんプラザ」について、その現状と問題点を発掘するとともに解決策の提言を行っている。目玉店舗・目玉商品の不足という問題についての「同心円状に広がっていく地産地消」という概念の提起や、周辺商店街との一体的活性化、マチグヮー文化の継承による沖縄食文化の拠点化などについて考察した。.
7. 宮地英敏,西尾典子, 「昭和金融恐慌と緊急勅令」, 『経済学研究(九州大学)』, 86, 2・3, 73-98, 2019.09, 昭和金融恐慌に際して第1次若槻礼次郎内閣が、台湾銀行救済勅令案の枢密院での可決にこだわり、枢密院が提案したモラトリアム案への変更を認めなかった点について分析した。.
8. 宮地英敏, 「昭和金融恐慌下における十七銀行の状況と安田銀行」, 『経済学研究(九州大学)』, 第85巻, 第4号, 29-40, 2018.12, 昭和金融恐慌下の十七銀行を対象に、その支店レベルでの預金額について預入額・引出額の多寡を検討した。それとともに、安田銀行と十七銀行とのやりとり等も紹介している。.
9. 宮地英敏, 「会津製碍子の官需への採用についての一考察」, 『エネルギー史研究』, 33, 75-90, 2018.03, 会津本郷焼製の碍子が逓信省・陸軍省へと採用されていった様子を、人的ネットワーク、製造技術、コストの点から分析した。.
10. 宮地英敏, 「一九六八:エンタープライズ事件の再定置」, 北澤満編『軍港都市史研究Ⅴ佐世保編』清文堂出版, 291-327, 2018.02, 1968年のエンタープライズ佐世保入港に際して発生した騒乱について、経済的な背景、社会的・政治的な背景、エンタープライズという艦名がもっていた象徴的な背景を分析することにより、炭鉱と軍港の2本柱で成長してきた佐世保が、炭鉱の衰退によって軍港色が相対的に強くなるとともに、そこへ戦勝国アメリカを象徴するエンタープライズが人々を蹂躙するイメージを与えてしまったために、騒乱が大きくなった点を指摘した。.
11. 宮地 英敏, 「沖縄石油資源開発株式会社の構想と挫折―尖閣諸島沖での油田開発が最も実現に近づいた時」, 『九州大学経済学研究』, 84, 1, 2017.08, 琉球政府の通産局長であった砂川恵勝の旗振りにより、沖縄主導の尖閣諸島沖海底油田開発の実現可能性が存在した。台湾による領有権宣言によって日本政府が琉球政府に歩み寄り、採掘権者であった大見謝恒寿らも巻き込んでのプロジェクトであった。そのプロジェクトの詳細と、それが何故に実現できなかったのかという点について分析した。.
12. 宮地 英敏, 「占領期沖縄における尖閣諸島沖の海底油田問題」, 『エネルギー史研究』, 32, 107-128, 2017.03, アメリカ占領下の沖縄において、尖閣諸島沖の海底油田開発が企画されていた問題について、大見謝恒寿に焦点を当てつつ、日本政府からの妨害やそれに対する現地沖縄の反発などについて分析した。.
13. 宮地 英敏, 「戦時期の日本における朝鮮人労働者についての再検討―世界遺産への登録で浮上した論点をめぐって―」, 『福岡地方史研究』, 54, 21-34, 2016.09, 戦時期の朝鮮人労働者の労務動員について、数量データに関する従来の説の修正を行うとともに、官僚の政策の失敗による歪みの結果としての悲惨な事態の到来であったことを明らかにした。.
14. 宮地 英敏, 「近代における三川内焼の評判と生産状況-国の報告書が産地に与えた影響-」, 『地球社会統合科学』, 23, 1, 31-45, 31-45頁, 2016.07, [URL], 江戸時代には平戸焼として知られ、海外輸出の先駆でもあった三川内焼が、近代以降において伸び悩んだり雄についての分析を行った。従来その原因は、技術力の停滞などで説明されてきたのであるが、それが素人の評論家でありかつ政府に重用された塩田真の報告書を、官僚や技術者達がコピーアンドペーストを繰り返し、大きな影響力を持たせたことを明らかにした。それと共に実際の伸び悩みの原因が、国内向けと海外市場向けで好まれる器の白さの違いであり、原料粘土の成分比に起因していたことも判明した。.
15. 西尾 典子, 宮地 英敏, 「御徳炭鉱にみる海軍予備炭田の実態」, 『地球社会統合科学』, 22, 2, 25-39, 2015.12, 福岡県の筑豊地方にあった海軍予備炭田の御徳炭鉱を事例として取り上げることにより、鉱山王有制の日本における展開について実証的に分析した。従来は鉱業条例によって鉱山王有制は終焉を迎えたとされてきたが、海軍が勅令を利用することにより、鉱業条例後にまで鉱山王有制が続いていたことが明らかになった。.
16. 宮地 英敏, 「戦後沖縄における発送電部門の業態について-琉球電力公社が設立されるまで-」, 『九州大学経済学研究』, 82巻, 1号, 1-14, 2015.06, アメリカ軍による沖縄占領のはじまりから、発送電会社である琉球電力公社が設立されるまでの期間において、戦後沖縄でどのような電力供給システムが模索されたのかを明らかにした論文。.
17. 宮地 英敏, 「近代日本における陶磁器産地の多様性について―萩焼の展開を中心として―」, 『地球社会統合科学』, 21, 1-2, 29-48, 2014.12, 岐阜・愛知・佐賀・京都といった陶磁器の主要産地が隆盛を誇る中で、それ以外の多様な陶磁器産地が日本国内において連綿と発展を続けた要因についての分析を、萩焼を主たる対象として行った。萩焼の場合には茶道と民芸という二つの要素が重要であり、特に茶道では表千家十一代千宗左(瑞翁宗左・碌々斎)との関係や、一楽二萩三唐津のキャッチフレーズの誕生などについて明らかにした。また、萩焼の事例を踏まえつつ、茶道などの伝統文化での陶磁器消費、民芸に見られる民衆的な工芸品としての消費、さらには近代的な美術工芸品としての消費という、3つの要素によって陶磁器産地の多様性が保たれてきたと位置付けている。.
18. 宮地 英敏, 「北海道開拓使官有物払下げ事件についての再検討-誰が情報をリークしたのか-」, 『九州大学経済学研究』, 80, 5・6合併号, 177-196, 2014.03, 北海道開拓使官有物払下げ事件をめぐって、関西貿易社と北海道開拓史との癒着という情報を、誰がどのような意図で流したのかを考察した論文。.
19. 宮地 英敏, 「日本経済史学の学問的特性に関する一考察」, 『エネルギー史研究』, 29, 77-89, 2014.03, 経済学と歴史学の学際的学問である日本経済史学の特性について、歴史的事象の評価の問題などをテーマに論じた。.
20. 宮地 英敏, 「アメリカ統治下の沖縄における発送電と配電の分離について」, 『エネルギー史研究』, 28, 123-140, 2013.03, 戦後沖縄で、発送電と配電の分離体制が出来上がっていく様子と、その特徴を分析した。.
21. 宮地英敏, 「20世紀初頭における三菱と電力業に関する覚書」, 『九州大学経済学研究』, 79巻, 2・3号, 69-79頁, 2012.09.
22. 宮地 英敏, 「猪苗代水力電気設立の諸相」, 『歴史評論』, 745, 80-98頁, 2012.05.
23. 宮地英敏, 「猪苗代水力電気と輸入碍子」, 『化学史研究』, 第39巻, 第1号, 2012.03.
24. 宮地英敏, 「近代日本の中小陶磁器業における企業家活動」, 『企業家研究』, 8号, 34-44頁, 2011.07.
25. 宮地英敏, 「三菱端島における労働者の性格について」, 『社会経済史学』, 第76巻, 第2号, 49-70頁, 2010.08.
26. 宮地英敏, 「石炭窯の普及における地域的偏在」, 荻野喜弘編『近代日本のエネルギーと企業活動』日本経済評論社, 53-77頁, 2010.03.
27. 宮地英敏, 「1930年代の筑豊地方における中小炭鉱経営者について」, 『エネルギー史研究』, 25号, 19-31頁, 2010.03.
28. 宮地英敏, 「明治前期における博多織の生産動向について」, 『市史研究ふくおか』, 第5号, 57-64頁, 2010.02.
29. 宮地英敏, 「十七銀行の戦時期『業務報告書』分析」, 『九州大学経済学研究』, 75巻5・6号 79-92頁, 2009.03.
30. Hidetoshi MIYACHI, 「Successes and Failures among Porcelain Trading Firms in the Early Meiji Period」, 『Japanese Research in Business History』, Vol.24、97-116頁, 2008.06.
31. 宮地英敏, 「近代日本の陶磁器業」, 東京大学大学院経済学研究科博士(経済学)学位論文, 2007.02.
32. 宮地英敏, 「起立工商会社と政府融資」, 『東京大学経済学論集』, 71巻4号 59-78頁, 2006.01.
33. 宮地英敏, 「近代日本陶磁器業における機械制大工業の成立」, 『東京大学経済学論集』, 71巻2号 58-78頁, 2005.07.
34. 宮地英敏, 「明治期日本における「専門商社」の活躍」, 『企業家研究』, 2号 31-48頁, 2005.06.
35. 宮地英敏, 「近代日本陶磁器業と中小企業」, 『経営史学』, 39巻2号 59-80頁, 2004.09, 愛知県瀬戸地方の陶磁器業を対象として、中小企業が経営規模を拡大していく様子を考察した。.
36. 宮地英敏, 「初期農商務省の政策対立」, 『歴史と経済(旧土地制度史学)』, 183号 38-51頁, 2004.04.
37. 宮地英敏, 「近代日本陶磁器業と専業小経営」, 『社会経済史学』, 69巻1号 25-45頁, 2003.05.
38. 宮地英敏, 「近代日本陶磁器業における技術革新」, 『東京大学経済学研究』, 45号 13-23頁, 2003.03.

九大関連コンテンツ

pure2017年10月2日から、「九州大学研究者情報」を補完するデータベースとして、Elsevier社の「Pure」による研究業績の公開を開始しました。