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鷲崎 俊太郎(わしざき しゅんたろう) データ更新日:2023.11.22

准教授 /  経済学研究院 産業・企業システム部門 産業システム


総説, 論評, 解説, 書評, 報告書等
1. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史⑥ 居留地時代の築地・明石町 , 『経済の進路』三菱経済研究所, 2022.09.
2. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史⑤ 武家も所有した「町屋敷」, 『経済の進路』三菱経済研究所, 2022.08.
3. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史④ 持込家質は「住宅ローン」の起源なのか?, 2022.07.
4. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史③ 江戸の土地抵当利子率は「高利」だったのか?, 『経済の進路』三菱経済研究所, 2022.06.
5. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史② 買っては売られる町屋敷, 『経済の進路』三菱経済研究所, 2022.05.
6. 鷲崎俊太郎, 千思万考 築地から見える都市経済史① 「築かれた土地」の築地, 『経済の進路』三菱経済研究所, 2022.04.
7. 鷲崎俊太郎, 安定成長期の福岡経済と「失われた10年」 ライオンズを失いホークスを迎えるまで九州と福岡に何があったのか。, ベースボールマガジンMOOK 俺たちのパシフィック・リーグ クラウンライター・ライオンズ, 2022.04.
8. 鷲崎俊太郎, 岩橋勝著『近世貨幣と経済発展』, 経営史学会, 2021.12.
9. 鷲崎俊太郎, 数字から読み解く「高度成長期」の福岡経済とライオンズ, 『俺たちのパシフィック・リーグ 太平洋クラブ・ライオンズ』(B.B.MOOK1535),ベースボール・マガジン社, 2021.08, [URL], プロ野球,特にパ・リーグの球団史は,母体企業や地域経済の盛衰とは切っても切り離せない関係にある。では,西鉄晩年から太平洋時代の福岡経済はいかなる状態であり,チームをどのように取り巻いていたのか。(本文より引用).
10. 鷲崎俊太郎, 岡田直・吉崎雅規・武田周一郎『地図で楽しむ横浜の近代』, 歴史地理学, 2021.03.
11. 鷲崎俊太郎, 岩崎葉子著『サルゴフリー店は誰のものか ―イランの商慣行と法の近代化―』, 歴史と経済第249号, 2020.10.
12. 鷲崎俊太郎, 小野浩著『住空間の経済史――戦前期東京の都市形成と借家・借間市場』, 『経営史学』第50巻第2号, 2015.09, 戦前期東京の借家・借間市場の展開過程を,住戸と住空間をめぐる各主体の重層的関係に着目することを通じて,都市形成に関する新たな歴史時の提示を試みた研究の書評。.
13. 鷲崎俊太郎, 浜野潔著『歴史人口学で読む江戸日本』, 社会経済史学, 2012.08.
14. Shuntaro WASHIZAKI, Land Market and Real Estate Management in Japanese Cities, 1660-1870: An Analysis of Rents and Values of Real Estate in Edo Using the Income Capitalization Approach, M. Miyamoto and M. Sawai (eds), Towards a Reinterpretation of Japanese Economic History: Quantitative and Comparative Approaches (Kyoto: International Institute for Advance Studies), pp.69-70, 2012.03, 本研究の目的は,江戸の土地市場と不動産経営に関する長期時系列データを作成し,その収益性の推移を明らかにするとともに,江戸の土地投資に対するファンダメンタルズ・モデルの説明力を検討することにある。従来,徳川都市の土地研究は,土地収益市場と土地資産市場を切り離して議論してきたが,本研究は双方の関係性を重視して江戸の実質地価を求め,その変動要因をマクロ経済に求めてきた点に,最大の特徴を有する。
 分析結果により,以下に掲げる3点の事実が発見された。第1に,犬山屋神戸(かんど)家という商家が徳川前期の江戸に所有した地面を事例として,町屋敷経営の収支構造を解明し,商人資本による不動産投資の意義を検討した。それによれば,①当該期の不動産経営は健全だったが,その実現にあたっては収益最大化に向けた管理人の経営手腕や,低率・低額・逓減の方向性を伴った町人の租税負担を前提としたこと,とはいえ②町人の役負担が減免されても,その減額分を上家・土蔵の減価償却費が吸収するため,町屋敷経営は高利の運用を期待しにくいという資産的特徴を備えていたこと,③それにも関わらず当時町屋敷への投資が集中したのは,貨幣改鋳によって三貨相場が不安定化し,現金から土地へという資産選択が一挙に加速化したためであったことなどが主張されている。この結果として,江戸の不動産は,利子所得を期待する資産ではなく,資本利得を期待する資産と位置づけることに成功した。
 第2に,収益還元モデルを利用して,江戸の土地価格がファンダメンタルズ・モデルによって決定していたのかを検証した。その結果,一方では,それが経済合理的に説明された価格であった点が明らかとなった。なぜなら,徳川時代において都市の土地は唯一の長期金融資産だったため,現代と比較すると非常に高い流動性を有しており,実質的に証券化していたからである。実際のところ,町奉行によって定められた町触によって,町屋敷の売り手と買い手,あるいは抵当権設定者と抵当権者は,対象となる土地価格や抵当に関する情報を町名主に報告する義務を負っていた。それとともに,町名主は,町内における不動産経営に関する租税率,収支や利潤,抵当権の有無といった土地市場に関する情報を「沽券帳」と呼ばれる土地台帳に記録・管理していた。そうすることによって,それらの情報はいつでも不動産を売買したり,抵当に入れたりしたい町人に対して開示することが可能だったのである。したがって,地価は将来地代の割引現在価値として設定されるようになり,土地の生産性と利子率によって説明されたものだといえる。しかし他方で,土地価格が町人投資家の非合理的な期待や行動によって決定したであろう点も,看過できない事実である。たとえば,18世紀初頭に江戸の市街が拡張されたが,まだ不動産経営が行われていない時点で設定された土地価格は経済合理的だったと判断できず,売り手と買い手との間に情報の非対称性が存在していたはずである。また,1818年には文政の貨幣改鋳が実施され,全般的に物価は上昇したものの,土地価格は意図的に据置きとなり,物価に対して硬直的だった点は,物価に対する土地資産の過小評価に繋がったと考えられる。さらに,土地が質流れした場合,弁済時の価格が概算的に決まっていた点も少なからず存在していた。
 第3に,徳川後期における江戸の商業地を事例に,実質地価の決定構造とその推移を分析した。その結果,18世紀中には実質地代の低下にもかかわらず,低金利政策と貨幣供給の増量,商品取引に対する貨幣需要の減退といった経済環境が土地不動産への資産選択を活発化させ,実質地価の上昇に貢献した。だが,19世紀初頭になると,貸手の商人・地主が,土地収益性を,表店でなく裏店のそれ程度と過小に評価したことで,実質地価は利子率の低下に反して暴落した。
 以上より,次の2点を結論づけることができる。ひとつは,徳川時代における都市の土地価格がファンダメンタルズ・モデルによって経済合理的に計算された価格を基盤としながら,町人投資家の非合理的行動によって説明された価格を加減して決定していた点であり,いまひとつは,徳川都市の土地不動産が投機的な長期金融資産として運用されていた点である。.
15. 鷲崎俊太郎, 徳川後期の「地方町場」と土地不動産市場:取手宿本陣染野家の地貸店貸経営, 首都圏形成史研究会会報第24号, 2010.08.
16. 鷲崎俊太郎, 江戸町屋敷経営の収支構造と資産利子率:1695~1754――日本橋小舟町1丁目・犬山屋神戸家, Hi-Statディスカッション・ペーパー・シリーズ, No.231, 2008.01, [URL].
17. 鷲崎俊太郎, 大西健夫・堤清二編『国立の小学校』, 歴史地理学, 第49巻第5号(通巻236号),72~76頁, 2007.12, [URL].
18. 鷲崎俊太郎, 銚子醬油醸造業賃金の再推計:1864~88年――ヤマサ醬油・蔵奉公人, Hi-Statディスカッション・ペーパー・シリーズ, No.225, 2007.11, [URL].
19. 鷲崎俊太郎, 明治・大正期の都市卸売物価データベース:1885~1920, 慶應義塾大学経商連携COEディスカッション・ペーパー, DP2003-023, 2004.03, [URL].
20. 鷲崎俊太郎・杉山伸也, 経済史シンポジウム:討論とコメント, 三田学会雑誌, 1999.04.

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