九州大学 研究者情報
論文一覧
金山 浩司(かなやま こうじ) データ更新日:2023.08.17

准教授 /  基幹教育院 人文社会科学部門


原著論文
1. 金山浩司, スターリン体制下のソ連物理学―1936年3月の科学アカデミー大会を中心に, 修士学位論文(東京大学), 1-63, 2003.02.
2. 金山浩司, A・ヨッフェと科学の計画化, 哲学・科学史論叢, 6, 227-249, 2004.01, ソ連での科学者集団と政治権力との関係は、従来のような単純な強制=支配とは規定されえない、重層的なものである。そのことを表す一例として、1920-30年代の物理学者集団を代表する学者の一人であったヨッフェの、ソ連権力によって喧伝された科学の計画化概念に対する対処を挙げることができる。第一次五カ年計画時にヨッフェは計画化に大いに賛同し、自らソ連の政策のスポークスマンの役割を引き受けていた。しかし、1930年代半ばになり、科学者に対して工業への献身が極端に求められるに至り、この概念に関するヨッフェの考えとソ連の公的な場で歓迎される姿勢とは乖離していくようになる。.
3. 金山浩司, 一歩後退、二歩前進―前期スターリン時代ソ連における物理学理論をめぐる哲学論争においてセルゲイ・ヴァヴィーロフが果たした役割, 科学史・科学哲学, 19, 86-105, 2005.03.
4. 金山浩司, ソヴィエトの語法を身につけた物理学者―1930年代哲学論争とその帰結, 科学史研究, 239, 145-156, 2006.09, 1930年代末の、党哲学者、指導的物理学者等多くの人物を巻き込んだ時期の論争を扱い、論争の勃発および収拾の経緯を実証的に解明した。論争の収拾は、従来の研究が示唆してきたように核物理学等の実用的分野の成果が示されて物理学者の発言権が増したからというよりも、指導的物理学者の一人が現代物理学の成果を守りつつソヴィエト・イデオロギーに照らして問題ない哲学上の記述の手法を身につけ、哲学者たちと物理学者たちとの間にあった言説の齟齬を調停することに成功したからこそ生起したことが明らかにされた。.
5. 金山浩司, 柔らかい強制―スターリン時代前期における科学思想の方向付けの一事例, 科学史研究, 241, 25-29, 2007.03.
6. 金山浩司, エネルギー保存則は保存される―1930年代半ばにソ連において行われた哲学論争の再考, 哲学・科学史論叢, 9, 65-89, 2007.01, 1930年代初頭、現代物理学の旗手の一人であるボーアが、ミクロ世界でエネルギー保存則が破れている可能性を示唆した。このことは、以来数年間、エンゲルスの自然哲学を正当なものとしてこれに依拠するソ連の哲学者たちの反発を呼び起こした。彼らからすれば、エネルギー保存則は外部世界に実在する物質の運動の量が一定であることの表現であり、簡単に投げ捨ててはいけないものであった。こうした主張は必ずしもボーアに賛同しない物理学者の間でも戸惑いを生み出した。これに対し、科学哲学者エルネスト・コーリマンは、新たな理論の形成が求められる際に、エネルギー保存則を保持しておこうとするかどうかが問題となっている―ボーアのように同法則に修正を加えるか、あるいはパウリのように新たな粒子を想定するか、など―ときには、エネルギー保存則を保持しようとするかどうかは「観念論的」「唯物論的」という世界観の違いに依存すると反論した。コーリマンの言明はソ連の公定イデオロギーを振りかざした強圧的なものに響くが、実際のところ同法則は、実験や観測によって検証されるものならぬ形而上学的前提という性格を持っており、エンゲルスやソ連の哲学者たちのような解釈を生み出す余地は十分にあったといえる。エネルギー保存則は、言ってみれば物理理論の固い核であり、同法則をめぐる論争には、新たな科学理論を構築する必要がある際の選択にまつわる、なにを保持し、何を捨てるのか、という問題が反映されている。.
7. 金山浩司, 1930年代前半期ソ連における物理学に対する反形式主義的議論―空間概念・エネルギー概念をめぐって, 科学史研究, 248, 193-205, 2008.12, 1933年にソヴィエト連邦の総合雑誌上で行われた物理学者と共産党哲学者との論争に対し、政治的・社会的文脈に関する考察も含めつつ検討を加えた。その結果として明らかになったことは、この論争は従来描出されてきた以上の科学哲学上の豊饒さを有していたということである。論争の中で争点となったのは、科学における記述と実在との相関関係であった。マルクス主義哲学者たちは、実在論的立場からエネルギーや力といった物理学上の根本的概念に対して検討を加えていた。この議論の一部は、当時の物理学の主流な哲学的潮流に対する異議申し立てと考えることができる。.
8. 金山浩司, 自然科学、哲学、国際主義―エルネスト・コーリマンの生涯をめぐって, 地域研究, 10, 2, 57-70, 2010.03, いわゆる社会主義国家において体制イデオロギーを支えた知識人がたどった思想上の変遷に、自然科学とのかかわりがいかなる影響を及ぼしたかを考察した。ここで取り上げたのは、チェコに生まれソ連で半生を過ごしたユダヤ人、エルネスト・コーリマンである。コーリマンは数学と自然科学の素養ある人物で、ソ連では弁証法的唯物論を喧伝するイデオローグであったが、その文筆・組織活動の性格は複雑・両義的であり、自然科学の進展に対する「弾圧」と「保護」との両方の側面を有しているといえる。また、晩年にはスターリン主義の残滓を引きずるソ連体制に見切りをつけ、西側に移住している。このような両義性と変化とを一人の人物の中に生じさせた内的・精神的要因として、彼が深くかかわっていた自然科学および社会主義の双方が有していた普遍性・国際性があったことを示そうと試みた。.
9. 金山浩司, 同床異夢の反動家たち:1930年代ソ連での物理学をめぐる哲学・イデオロギー論争における『現代物理学への反対者』同士の関係について, 科学史研究, 256, 193-205, 2010.12, 従来、1930年代ソ連物理学哲学論争の中で現代物理学に理解のない「無知な」陣営に属するアクターとして同一視されてきた、電気工学者ミトケーヴィチと共産党哲学者マクシーモフ。彼ら同士の間に、実は哲学的・政治的な種種の対立があったこと、それが上述した論争の趨勢全体にも大きく影響していることを、モスクワの科学アカデミー文書館に保存されていた両者間の往復書簡を詳細に分析することによって明らかにした。.
10. 金山浩司, ソヴィエト連邦における物理学哲学論争:1930-1941年, 博士学位論文(東京大学), 1-333, 2010.01.
11. 金山浩司, 科学者の代表の交代劇はなぜ起こったか―1920~30年代ソ連物理学の事例, ”科学の参謀本部”―ロシア/ソ連邦/ロシア科学アカデミーの総合的研究 論集, 1, 17-29, 2011.03, ・後に改稿、「ソ連を代表する物理学者の交代劇――アブラム・ヨッフェからセルゲイ・ヴァヴィーロフへ」と改題のうえ、市川浩編『科学の参謀本部:ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究』(北海道大学出版会、2016年2月)に所収、157-184頁



ソ連物理学者集団の「頭目」とも言える立場を占める人物が1930年代に交代していたこと―これ自体、従来注目されてこなかった―に注意を向けるとともに、その原因を探った。急速で性急な工業化とそれに伴うイデオロギー的キャンペーン、哲学論争の政治化、研究機関の一元化、スターリンとの政争に敗れた古参党官僚の凋落、こういったこと一切が、物理学者集団内での力関係に影響し、従来の「頭目」の立場を危うくしていたこと、その結果あらわれた新たなる「頭目」はスターリン体制下でのソ連権力に近い人間に要求される振る舞いを身につけることに成功し、これがソ連物理学の順調な発展を支えたことを歴史的に実証した。.
12. 金山浩司, О смене "главы" научного сообщества советских физиков в 1930-е гг. (1930年代におけるソ連物理学者共同体の『頭目』の交代について), 2011 Годичная научная конференция. Институт истории естествознания и техники. (2011年、ロシア科学アカデミー自然科学史技術史研究所年会プロシーディング), 270-272, 2011.11.
13. 金山浩司, Между философией и идеологией: о критерии исторической оценки физико-философских споров сталинского времени(哲学とイデオロギーの間で―スターリン時代物理哲学論争の歴史的評価の基準について), 2010 годичная конференция. Институт истории естествознания и техники(2010年、ロシア科学アカデミー自然科学史・技術史研究所年会プロシーディング), 251-253, 2011.04, 1930年代は、物理理論の解釈に関して、主観主義、エネルギー保存則の破れ、プラトン主義的な観点などが、―多数の物理学者の賛同を得ていたとは言えないまでも―目立っていた時代であった。この状況下にあってマルクス主義自然哲学を守護するため、ソ連イデオローグは、実在論、エネルギー保存則の保持、決定論などを決然と支持しなければならなかった。こうした立場は、マルクス主義やソ連に対して共感を抱かない科学哲学者たちの立場とも部分的には共通するものである。.
14. 金山浩司, ソ連科学アカデミー常任書記Н. П. ゴルブーノフの解任(1937年)―ロシア国立社会政治史文書館所収史料にみる―, ”科学の参謀本部”―ロシア/ソ連邦/ロシア科学アカデミーの総合的研究 論集, 2, 24-27, 2012.03, ・後に、大幅に改稿、「大テロルはソ連邦科学アカデミーをどう変えたか――常任書記の解任を手がかりに――」と改題のうえ、市川浩編『科学の参謀本部:ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究』(北海道大学出版会、2016年2月)に所収、199-214頁



ソ連科学アカデミーの機構の歴史は、ソ連権力と学者集団との関係性を検討するうえで大いに参考になる。従来、1920年代末から30年代初頭の「上からの革命」の時期については研究の蓄積が豊富にあった。しかし、大粛清期(1936~38年ごろ)には重要な人事の動き等が多く見られたにもかかわらず、歴史的探究があまりなされていない。本論考では、この研究史上の穴を埋めて大粛清期のソ連学術の変化につて完全な像を描く道程に一里塚を築くべく、1930年代に常任書記職を務めていたテクノクラートの逮捕に至る過程に、文書館史料を用いつつ迫った。.
15. 金山浩司, 科学とイデオロギーの狭間で――戦前期ソ連における物理学をめぐる論争の弁証法, ロシア史研究, 92, 98-98, 2013.05, 2012年10月に開催されたロシア史研究会大会におけるパネル「科学とソヴィエト権力:対抗・協調・縺れ」の席上で行った同名の講演の内容。.
16. 金山浩司, Between Ideology and Science: Dialectics of Dispute on Physics in 1920s-1930s Soviet Russia, Historia Scientiarum, 22, 3, 201-214, 2013.03, 博士論文を縮約したもの。1920-30年代にソヴィエト連邦において行われていた物理学哲学論争が、何を論題として、いかなるアクター間に行われていたものだったのか、それは科学思想史・物理学史・ソ連の社会政治史においていかなる意味あいをもっていたのかを、文書館史料も含めた一次資料を読み返すことにより改めて浮き彫りにしようと試みた。この論争は従来の研究で言われているような、現代物理学への無知に基づいた反対者が指導的物理学者たちを攻撃するためにソ連イデオロギーを持ち出していたというものではなく、当時物理学の哲学をめぐって国際的にみても争点になっていた諸点を、様々なアクターが消化し自らの立場を明確化しようとする争いであった(たとえば、主観主義と客観主義、物質と場の統一に関する問題、エネルギー保存則の自然法則としての位置づけ、道具主義と実在論、など)。またアクター同士の敵対・友好関係もこの時期を通じて一定のものではなかく、1930年代ソ連のめまぐるしく変遷する政治状況の変化を反映した、極めて流動的なものであった。.
17. 金山浩司, 実践的生産過程での媒介としての技術:1940年代初頭における相川春喜(1909‐1953)の理論的諸著作, 科学史研究, 273, 17-31, 2015.04.
18. 金山浩司, 大テロル後のソヴィエト政権と知識人集団との結合に関する試論, 科学史研究, 55, 279, 212-213, 2016.10, 2016年5月28日、日本科学史学会年会のシンポジウム「越境するソヴィエト科学」の席上にて行われた同名の発表の内容。.
19. 金山浩司, ヘミ・グローバリゼーションのもとでの日本物理学者:坂田昌一と弁証法的唯物論, 現代思想, 44, 12, 160-171, 2016.05.
20. 金山浩司, 齋藤宏文, 梶雅範のヴェルナツキー研究ーー邦訳『ノースフェーラーー惑星現象としての科学的思考ーー』(水声社、2017年)の刊行に寄せて, 科学史研究, 56, 283, 249-250, 2017.10, 2017年6月4日、日本科学史学会第63回年回シンポジウム「「周期律」から「叡知圏」へ――科学史研究史における梶雅範(1956-2016)」において行われた同名の報告の内容。.
21. 金山浩司, 拡張主義的科学観を涵養したソヴィエト連邦, 現代思想, 45, 19, 96-107, 2017.09.
22. 金山浩司, 第二次大戦中の日本技術論における地域特殊性の導出の理路 ―山田坂仁と相川春喜の場合, 哲学論文集(九州大学哲学会), 56, 1-17, 2020.12.
23. KANAYAMA Koji, A Japanese Physicist Meets with Socialist Natural Philosophy: SAKATA Shoichi (1911-1970) and Dialectical Materialism, Historia Scientiarum, 31, 1, 31-46, 2021.08.
24. KANAYAMA, Koji, A Japanese Physicist Meets with Socialist Natural Philosophy: SAKATA Shoichi (1911-1970) and Dialectical Materialism , Historia Scientiarum, 31, 1, 31-46, 2021.08.
25. 金山浩司, 第二次大戦中の日本技術論における地域特殊性の導出の理路, 哲学論文集, 56, 1-17, 2020.12.
26. 金山浩司, 拡張主義的科学観を涵養したソヴィエト連邦, 現代思想, 45, 19, 96-107, 2017.09.
27. 金山浩司, ヘミ・グローバリゼーションのもとでの日本物理学者:坂田昌一と弁証法的唯物論, 現代思想, 44, 12, 160-171, 2016.05.
28. 金山浩司, 実践的生産過程での媒介としての技術:1940年代初頭における相川春喜(1909‐1953)の理論的諸著作, 科学史研究, 273, 17-31, 2015.04.
29. 金山浩司, Between Ideology and Science: Dialectics of Dispute on Physics in 1920s-1930s Soviet Russia, Historia Scientiarum, 22, 3, 201-214, 2013.03.
30. 金山浩司, 同床異夢の反動家たち:1930年代ソ連での物理学をめぐる哲学・イデオロギー論争における『現代物理学への反対者』同士の関係について, 科学史研究, 256, 193-205, 2010.12.
31. 金山浩司, 自然科学、哲学、国際主義―エルネスト・コーリマンの生涯をめぐって, 地域研究, 10, 2, 57-70, 2010.03.
32. 金山浩司, 1930年代前半期ソ連における物理学に対する反形式主義的議論―空間概念・エネルギー概念をめぐって, 科学史研究, 248, 193-205, 2008.12.
33. 金山浩司, 柔らかい強制―スターリン時代前期における科学思想の方向付けの一事例, 科学史研究, 241, 25-29, 2007.03.
34. 金山浩司, エネルギー保存則は保存される―1930年代半ばにソ連において行われた哲学論争の再考, 哲学・科学史論叢, 9, 65-89, 2007.01.
35. 金山浩司, ソヴィエトの語法を身につけた物理学者―1930年代哲学論争とその帰結, 科学史研究, 239, 145-156, 2006.09.
36. 金山浩司, A・ヨッフェと科学の計画化, 哲学・科学史論叢, 6, 227-249, 2004.01.

九大関連コンテンツ

pure2017年10月2日から、「九州大学研究者情報」を補完するデータベースとして、Elsevier社の「Pure」による研究業績の公開を開始しました。