Kyushu University Academic Staff Educational and Research Activities Database
List of Reports
SHUNTARO WASHIZAKI Last modified date:2020.10.13

Associate Professor / Fields in Industry / Department of Industrial and Business System / Faculty of Economics


Reports
1. Shuntaro WASHIZAKI, Land Market and Real Estate Management in Japanese Cities, 1660-1870: An Analysis of Rents and Values of Real Estate in Edo Using the Income Capitalization Approach, M. Miyamoto and M. Sawai (eds), Towards a Reinterpretation of Japanese Economic History: Quantitative and Comparative Approaches (Kyoto: International Institute for Advance Studies), pp.69-70, 2012.03, 本研究の目的は,江戸の土地市場と不動産経営に関する長期時系列データを作成し,その収益性の推移を明らかにするとともに,江戸の土地投資に対するファンダメンタルズ・モデルの説明力を検討することにある。従来,徳川都市の土地研究は,土地収益市場と土地資産市場を切り離して議論してきたが,本研究は双方の関係性を重視して江戸の実質地価を求め,その変動要因をマクロ経済に求めてきた点に,最大の特徴を有する。
 分析結果により,以下に掲げる3点の事実が発見された。第1に,犬山屋神戸(かんど)家という商家が徳川前期の江戸に所有した地面を事例として,町屋敷経営の収支構造を解明し,商人資本による不動産投資の意義を検討した。それによれば,①当該期の不動産経営は健全だったが,その実現にあたっては収益最大化に向けた管理人の経営手腕や,低率・低額・逓減の方向性を伴った町人の租税負担を前提としたこと,とはいえ②町人の役負担が減免されても,その減額分を上家・土蔵の減価償却費が吸収するため,町屋敷経営は高利の運用を期待しにくいという資産的特徴を備えていたこと,③それにも関わらず当時町屋敷への投資が集中したのは,貨幣改鋳によって三貨相場が不安定化し,現金から土地へという資産選択が一挙に加速化したためであったことなどが主張されている。この結果として,江戸の不動産は,利子所得を期待する資産ではなく,資本利得を期待する資産と位置づけることに成功した。
 第2に,収益還元モデルを利用して,江戸の土地価格がファンダメンタルズ・モデルによって決定していたのかを検証した。その結果,一方では,それが経済合理的に説明された価格であった点が明らかとなった。なぜなら,徳川時代において都市の土地は唯一の長期金融資産だったため,現代と比較すると非常に高い流動性を有しており,実質的に証券化していたからである。実際のところ,町奉行によって定められた町触によって,町屋敷の売り手と買い手,あるいは抵当権設定者と抵当権者は,対象となる土地価格や抵当に関する情報を町名主に報告する義務を負っていた。それとともに,町名主は,町内における不動産経営に関する租税率,収支や利潤,抵当権の有無といった土地市場に関する情報を「沽券帳」と呼ばれる土地台帳に記録・管理していた。そうすることによって,それらの情報はいつでも不動産を売買したり,抵当に入れたりしたい町人に対して開示することが可能だったのである。したがって,地価は将来地代の割引現在価値として設定されるようになり,土地の生産性と利子率によって説明されたものだといえる。しかし他方で,土地価格が町人投資家の非合理的な期待や行動によって決定したであろう点も,看過できない事実である。たとえば,18世紀初頭に江戸の市街が拡張されたが,まだ不動産経営が行われていない時点で設定された土地価格は経済合理的だったと判断できず,売り手と買い手との間に情報の非対称性が存在していたはずである。また,1818年には文政の貨幣改鋳が実施され,全般的に物価は上昇したものの,土地価格は意図的に据置きとなり,物価に対して硬直的だった点は,物価に対する土地資産の過小評価に繋がったと考えられる。さらに,土地が質流れした場合,弁済時の価格が概算的に決まっていた点も少なからず存在していた。
 第3に,徳川後期における江戸の商業地を事例に,実質地価の決定構造とその推移を分析した。その結果,18世紀中には実質地代の低下にもかかわらず,低金利政策と貨幣供給の増量,商品取引に対する貨幣需要の減退といった経済環境が土地不動産への資産選択を活発化させ,実質地価の上昇に貢献した。だが,19世紀初頭になると,貸手の商人・地主が,土地収益性を,表店でなく裏店のそれ程度と過小に評価したことで,実質地価は利子率の低下に反して暴落した。
 以上より,次の2点を結論づけることができる。ひとつは,徳川時代における都市の土地価格がファンダメンタルズ・モデルによって経済合理的に計算された価格を基盤としながら,町人投資家の非合理的行動によって説明された価格を加減して決定していた点であり,いまひとつは,徳川都市の土地不動産が投機的な長期金融資産として運用されていた点である。.
2. Symposium: Decline and Fall in Economic History, Closing Remarks and Comments.